なんで「君の名は。」はあんなにドアを閉めたんだろう。

一昨日、レイトショーで「君の名は。」見てきました。なんだろうね。先週の土曜日も見に行こうと思ったらチケット売り切れで、今回も朝一*1の上映見に行こうと思ったらチケット残りわずかで、しょうがないのでレイトショーのチケット買ったら夕方には売り切れてて。法律上どこでもそうなのかは知らないんですが、この辺じゃレイトショーで終わりが22時またぐと高校生は入場不可になるんですよ。だからあそこで見てたカップルはみんな18歳以上。一部小学生か中学生か、って女の子が親子連れで来てたからまあそういうのはあるかもしれないけど、恋愛要素のある映画、高校生が親子で来ないよね。

ストーリーについては漏れ聞いたところからなんとなく想像しつつ。宣伝チラシ*2に「山深い田舎町に住む女子高生」って、現実の地名が書かれてないところから、「あ、これ実際の名前を出しちゃいけないやつだ」とかね。実際これはアタリかというと微妙だったわけですが。

でもまあ、これまでの新海誠をいっぱい出してきたな、って思う流れでしたね。「ほしのこえ」の「想いが、時間や距離を越える事だって、あるかもしれない」をそのままストーリーの核心に使って、「雲のむこう、約束の場所」のラスト直前「目が覚めたら、そこで見たものを全て忘れてしまう」とか、「星を追う子ども」の「亡くなった大事な人を取り戻すために、あの世に向かう」とか、「言の葉の庭」の「新宿駅」とか「国語の先生」とか、あとはタイアップされたサントリーの自販機とか、Z-KAIの車内広告とかね*3。人が一生のうちに書けるオリジナルはそんなにない、っていうのかな、とも思いましたが、大事なことなら何回だって力説すればいいので何度やってもいいのだと思います。

それにしても瀧くんでしたっけ? 彼の恵まれっぷりは正直妬ましいくらいでした。駅で待ち合わせ、って四ツ谷駅に集合してますけどあれ四ツ谷駅まで歩いて行ってるんですよね。山手線の輪っかの中のマンションに住んでるのか。あれは岐阜の山間部でなくても憧れますよね。でもって友達とカフェ巡り。さすがにパンケーキ3000円はさすがに高校生の予算から考えても使いすぎっぽいですが、男3人の友達同士で帰りがカフェ巡りって今どきの高校生的にはあり得る展開なのかどうかもわからなくなってきました。

まあ伏線だったりそうでなかったりするものを挙げていけばきりがないんです。例えば、あれ、三葉の使っているスマホはiPhone5cっぽいな、2016年現在にしてはちょっと古めだな、とか、あの部室は歴代の部が書いてあるのか、テッシーがいくつも作って誰も入ってくれなかったのかどっちだろうなんでX68000があるのかな、とか、町長室に一家全員集まっていると思ったら、そういやこの一家全員さっき本人じゃない本人と個別に会ってたなとか。わからないところが一つあって。

君の名は。」やたらドアが閉まるんです。寝室で胸揉んでる三葉を見た四葉。リアルすぎるトイレから出てきた瀧。遅刻して家から出てくる瀧、その他電車のドアは23回くらい閉まってます*4。アニメって描くべきものしか描かないことができるから、描かれていることはどうしても描きたかったこと、というのは誰の言葉でしたか。それを考えるとあれだけ閉まるドアにはたぶん何らかの意味があると思うんですが、「ドアが閉まる」ってところからくる「断絶」「別れ」みたいな象徴とはちょっと違う気がするんですね。

なんであんなにドア閉めたかなあ。

「同一に見える場所の時間の経過」でも示したかったのかなあ。

だとすると、「ドアを閉める」描写に注目して作品を眺めると、いろいろ謎になっている時間経過の真相がわかるかもしれないな、と、現時点で感想を眺めても誰もあのドア閉め回数の多さが気になっている人がいないのでここに書いておきます。

*1:ではなく、実際には2回上映が増えて朝3番めの上映になってた

*2:もしくはウェブサイト

*3:もっと大事な作品がないだろ、って言うかもしれませんがよくわかりません。彼女と彼女の猫のことかな?

*4:回数は適当です