CCの追加条件について、もしくはPodcastingの文字起こし。

半可思惟 - CCLに追加条件は付けられますより。

いえ、CCLに追加条件は付けられます。morePermissionsというスキーマがそれ。

なるほど。

わかりやすく教えることよりも柔軟な著作者の意思表示の方が優先でしょう。それで意思を曲げるのはおかしい。

とはいうものの、下記文字起こしにあるように、著者としてもCCでは細かい規定は出来ないと思っているふしがあるので、じゃあmorePermissionsでどういう風にすればその意志を表示出来るのか、というのはそういうことを知っている人から聞けたらうれしいのだけど。

というか、自分、今回こうやって指摘されるまで、CCライセンスってものは、著者がある程度自分の意志を曲げ意図しない利用にも目をつぶってわかりやすく表示することで、利用者に自由*1な利用を促すのが目的の一つだと思ってました。そういうもんじゃないのか。

野口:
みなさん、こんばんは。
翔泳社の野口と申します。CONTENT'S FUTUREでは、サブの担当として、原稿整理や、いろいろな方へのアポイントメントなど、雑務周りをしておりました。
CONTENT'S FUTUREの刊行を記念して8月2日に池袋のビブロ東池袋店でトークショーを行いました。その場で来場者の皆さんに著者の二人、津田さんと小寺さんに質問を投げかけていただきましたが、時間の関係上、全部にお答えすることが出来ませんでした。そこで今日は、ネットラジオとして、残りの質問に、出来る限りお答えしていきたいと思います。

http://blog.shoeisha.com/contentsfuture/2007/09/podcastingcc1.html
(ここで質問読み上げ。内容は上記URL内にある質問と同一。)

ということで、CONTENT'S FUTUREにCCライセンスをつけましょうと強くプッシュして下さった津田さんから。

津田:
CCにした意味、これは、いろんな問題というか、問題提起というか、ほんとに、なんでCCにしたかと言うのは後書きでも書いたんですが、ずっと、ある程度、文化を守るというか、コンテンツを作るということは、消費者、それを楽しむユーザーまで届いてはじめてやっぱりコンテンツというのは意味を持つものだと思うんですよ、コンテンツビジネスの枠組みの中で話をすれば。
そう言うときある程度のコピーということが文化を守る意味でも、コンテンツを楽しむ意味でも、環境を守る意味でも、僕は大事なことだと思って、ある程度コピーを必要以上に制限することは良くないよね、という。それはたぶん、僕も小寺さんも同じ意識だったと思うんですけど、そういうことをずうっと現場の人も含めてそういうことを共通認識としてある種議論していった本なのに、それがその本がコピーだめですよ、無断でコピーしちゃだめですよ、という、著作権、従来の著作権の枠組みでライセンスがついてしまう、それは本末転倒だなという感じがしていたので、であれば、やっぱりこの本はひろく、お金になるかどうかはともかくとして、それより先に、コンテンツに関わる人、コンテンツを楽しむ人に多く読まれてもらいたいな、という意味で、じゃあある程度コピーは自由にしましょうと。
ただやっぱり、でも完全にコピーを自由にしてしまうと、僕らある意味商売の部分もあるので、実際翔泳社さんの商売にも関わってくるので、そこら辺はですね、ある程度何かしらの自由な枠組みは作るけど、ある程度の制限的なものもつけておきたいな、というときに、じゃまあCCというライセンスがあるので、これは確かに目指している方向としても僕らと近い部分が、少なくとも僕の思っているところと近い部分があったので、であればCCをこの本につけるのはどうだろう、というのが最初の出発点としてはあります。

小寺:
津田さんは最初、改変も可にしようという風におっしゃってたんですけど、僕は改変不可のほうが良いんじゃないかと、という風にいって、いま現状改変不可になっているわけですけれども。なんで改変不可の方が良いかなと思ったときに、紙の本ってアナログじゃないですか。それが紙の本、流通の経路とかインターネットとは全く分離していますよね、そう言う中で流通するものが、何らかのコピー手段を使ってネットにコピーされると言ったときに、改変がもし可だったら、言ったことが言わないように改変されても文句言えなくなっちゃうということがあって、それが何で問題かというと、メディアが全然違うじゃないですか、ネットのメディアとして流れている部分のコピーってオリジナルが探せないですよね。ネットの上での。紙の本を持っていない人にはもうオリジナルがなんであったかわからなくなっちゃうので、オリジナルを簡単に探せるかどうかというところがぼくはポイントだと思っていたわけですよね。ですからその紙の本は改変をしないでそのままになっていた方が良いだろう。
で、今YOUTUBEで動画の公開が始まりましたけど、あれは改変可にしてあります。それはなぜかというと、検索すればオリジナルがすぐ見つかるからですね、ですから、言った言わないの改変をされた場合にもオリジナルをすぐ探せるので、あ、そんなことは事実とは違うんだな、ということが誰しもわかる、そういうことになっているので、あれは改変可にしてある、というような形ですね。

津田:
けっこう、だから、改変禁止にしてるというのは面白い、というか難しい問題をはらんで。例えば実際今CONTENT'S FUTUREを発売して、あのページをスキャンして全文をネットに上げてらっしゃる方とかもいるんですけど、もともと縦書きの本を横書きにして公開すること自体がそれは改変なのか、少なくともレイアウトに関しては改変が行われているわけですよね。で、あとは注に関してはまだテキスト化されていないので、あの本って本来的に言うとやっぱり注と本文がセットになって一つのコンテンツになっていると思うので、そこはやっぱり今公開されている分に関して言うと注が全部カットされている形で本文だけ載っているので、注が載っていないと言うことはある種の改変じゃないのかというとらえ方も出来るわけで。で、まあこちらの要望としては、できれば完全な形に編集し直した、注も含めた形で、ある程度ちゃんと労力を払っていただいて、本とほとんど同じ内容だよね、ほとんどこれは同じように読めるよね、という形になってから公開してもらえればぼくら文句言うつもりはないんだけど、割と中途半端な形で公開されていくと、なんかちょっとどうなんだろう、みたいなところもあるんですけど。
ただまあ、結局だからそれはたぶんCCがあまりにもすごくやっぱり著作権とかよく分からない人が、でもコピーは自由だって表明するためにあえてあれわかりやすくしているところがあると思うんですよね。でもやっぱりそれが故に、使う側からしてみると細かく規定できないという問題も抱えていて、例えばさっき小寺さんがおっしゃっていた、発言が変わっちゃうと困るじゃん、そこだけは残しておいてよ、というのが実は僕らの希望としてはあって、それ以外の別にある種の改変に近いようなアレンジは別に僕ら良いわけじゃないですか、そこに対して文句を言うつもりはなくて、要するにあの本で言うとテキストの中身ですよね、本文と注釈の、その文章自体が変わらなければ、ま、どういう見せ方してもいいよと。それはもうどういう見せ方でもいいし、どういうカットアップしてもいいよ、と僕ら思っているんですけど。
じゃ、CCでそういう規定を出来るかというとなかなかできないというのもあって、なかなかその、あの。あとは例えばいろいろあると思うんですよ、インターネットってやっぱあまりにもコントロールしにくいコピーだから。あのCONTENT'S FUTUREという本を普通にコピー機とかでコピーして、研修会とか勉強会とかで資料として配るのはいちいち許諾とかいりませんけど、インターネットはちょっと勘弁ね、ということもCCってできない、という部分もあるので、なんかそこらへんをもうちょっと細かくね、使いやすい、わかりやすさとともにやっぱり実際にそういう使い方としてここまでOKだけどここはちょっとね、というのを規定できない部分があるので、なんかだからこのCONTENT'S FUTUREにCC改変禁止というのを投げかけたところにはすごくいろんな論点が含まれているんじゃないのか、という気がしています。

小寺:
コンテンツをデジタル化した、ということはコピーに関わる労力って限りなく0になる、ということとほぼイコールだと思うんですよね。で、まあ昔の出版って要は写本って言って、活版印刷が出来るまでみんな一生懸命職人さんが写していて、それから活版印刷になったらなったで、自分はそれを印刷する権利があるのかとかいうような、権利の発生がでてきたわけですよね。で、コピーに関わる労力が0になってしまったいま現在、コンテンツって何を売っているかというと、内容っていうことよりもむしろ、権利の切り売りっていうこととほとんどイコールじゃないかと思うんですよね。
で、そうした中で、なんていうのかな、例えばその、今ネットで全文に近い形で公開されてらっしゃる方がいるわけですけれども、ある意味それってこう、ビジネスモデルとして、ぼくらがCCでやろうとしたことが何かって言うと、あの、東京とかでもずっと田舎にいくと畑がいっぱいあって、そこにほら100円で野菜がいっぱいあって、100円いれると野菜持って行っていいですよ、みたいな無人販売所があるじゃないですか、僕ああいうビジネスモデルに近いと思うんですよね。それは限りなく人の善意みたいなものに依存していて、ある程度お金払わないで持って行っちゃう人がいてもしょうがないよね、でもほとんどの人がお金払ってくれるからまあいいんじゃないかなと、そういう商売だと思うんですけど、何の目的もなく全文を公開するって言うこと自体はですね、僕的にはお金をいれる料金箱に10万円くらい突っ込んで小屋に火を付けることとなんかあまり変わらない気がするんですけどね。つまりビジネスモデルがなんだか、ということがあまり理解出来ていなくて、権利があるからそれをやる、ということ自体はなんかこうかえってそういうことをやっている本人自体が自分が何をやっているか一番よく分かっていないんじゃないかなと。

津田:
権利と権利の衝突というのはそういうところをきっかけに起きていく可能性ってやっぱすごくありますよね。で、まあこの本でインタビューしている松岡正剛さん的な話で言うと僕はCCにしておくことによって、で、ぼくらあえてデジタルデータは公開しませんと。
別に公開するという選択肢もあったとは思うんですけど、でもそれはしませんと。本というオリジナルがあって、そこからHTMLなり他のところにコピーする、そこの時に改変禁止だけどもうるさいことはあまり言わないからそこから生じる編集が見てみたかった、そこのクリエイティビティが見てみたかった、というところがあるんですよね。
で、それは当然ちょっとこの前もある人と話したときに、そりゃ、改変禁止じゃそこにクリエイティビティ発揮できないじゃん、ていう風に言うんですけど、僕そんなことはないと思っていて、もう本当にテキスト部分いじらないで、レイアウトとかに関しては文句言うつもりはないわけだし、少なくとも普通の書籍よりもそう言うことに関してはCCつけた時点で寛容だという、要するに著作者の意志というのを表示しているわけですから、それはだからやってもらえればいいし、やってもらったときに大丈夫ですかこれっていう風に、なんなら問い合わせてもらってもいいわけですよ。僕だって小寺さんだって連絡先ってのはだいたい分かるわけですから。
だからなんかそういうことをこの本を読んでもらった人がどう感じてどういうコンテンツを作っていくか、ということも含めてある種の実験でもあったし問いかけでもあったなと言う気がしているんですけどね。

小寺:
さっきの権利の切り売りの話、途中で言いたいことが違う方向に曲がっていっちゃったので少し修正したいんですけど、あの権利の切り売りってことになったこと自体、コンテンツに対して、出したい側が、もっと細かく、ここまでは良いけどここまでは勘弁して、みたいな権利を付加してもいいようになってきたんじゃないのかと思うんですよ。それはそのいわゆるCCみたいな形で宣言できるような方法があれば良いと思うんですよ。それがなかなか現実にはできないから、DRMっていうかたちになって、強制的にそれをさせない、というようなものの、方法論というかツールというかそういうものを使っていくような感じになっていると思うんですけど、これ、だから逆に言えば、これはやっちゃだめです、というような、ちゃんとしたライセンスのスタイルが細かくあればDRMってものは存在意義を失う、失ったらいいな、というふうに考えるんですけどね。

津田:
話がCCばかりになっちゃっているんで、いろんな4つ質問のあるなかで他のところにも話を戻していくと、

小寺:
すごい、バランスを考えている、

津田:
それ(CC)自体でもう10分くらい話していて、このままだと何時間経っても終わらないんじゃっていう危険性があるので、考えていくと、1個あるのは、要するにある程度自由にすることはもちろん大事なんだけど、いっぽうでコンテンツをデジタル化していったときにじゃあコンテンツクリエイターというのの対価回収、どうやってお金を儲けるんだ、というのが問題になっているわけじゃないですか。
で、これって多分いろんな考えかたがあるんですよね。例えばちょっと前だったら、プリンスってアーティストが、CDアルバムはイギリスで、新聞の付録で、ほとんどタダに近い料金で配って、じゃあどこで彼は収入を得たかって言うと、ライブなんですよね、ライブ。そこの同じ時期にイギリスのでっかいドーム、O2アリーナってでっかいところで20回くらい公演してそこで何十億っていう売上を上げたって言うみたいな。ある種それ音楽って言うのが、音楽配信とかCDっていうもの以外にもライブって言う、ライブエンターテイメントとしての対価回収、出口があるからそう言う方法論も採れると思うんですよね。
でもそれって多分コンテンツによって違うと思うんですよ。例えば僕ら著者だったらもしかしたら音楽、アーティストのライブに当たるものが講演みたいなものかもしれないし、例えば考えていることとか書くものが面白いから、お前ここで企画書書いてみろよとか、ちょっとその能力を教えてくださいみたいなコンサルみたいな、そういう出口があるのかもしれないし、なんかそれはだからなんだろう、コンテンツクリエイターの出口がどうなのかな、ていう話だと思うんですよね。でやっぱり、漫画だったら、じゃあ漫画家だったら今のところそのマンガ雑誌に連載して単行本を出す、っていうのがやっぱりかなり大きなまず一番最初のコンテンツの発表場所と対価回収の手段ですよね。ま、その先に二次利用として最近ケータイとか出てきたけれども、じゃでも漫画家におけるライブってなんなんだろう、みたいな話とか、たぶん全然やっぱりコンテンツによって変わってくるから、それは多分この質問の中にもあったと思うんですけど、そのコンテンツって言うのがどれだけデジタル的なもので今現状結びついているのかによってかなり変わってくるんじゃないのかなという、だからそれに対してのある意味明確な結論というものが僕はなくて、もうやっぱりコンテンツごとに個別にやっぱり考えていくしかないっていう、現状やっぱ僕はそう言うしかないなという感じなんですけど。

小寺:
今、YOUTUBEとかで問題になっているのが、いろんな経済活動それぞれに対して、必ず対価がなければいけない、というような考え方がベースになっているような気がするんですよね。僕らが本を出して、こうやって対談したり、あるいはYOUTUBEにアップしたり、トークイベントとかやったりするのってみんな要は対価がない訳じゃないですか。基本的にはプロモーションとして無償でやってることじゃないですか。で、要はその対価を売る手段が本が売れることしかないと言うことな訳ですけど。それで、従来はこれだけこの本に対して露出をするっていうこと、興味を持ってもらうこと、広告をあげるということ自体ってものすごくお金かかったことなんですよね。
たくさんの人に周知してもらって興味を持ってもらうというのが。それが自分たちが手弁当で露出するだけで、これだけいろんな人が集まってきてくれて、ブログで感想言ってくれて、というようなループが始まって、どんどん本のことを知ってもらえるようになるということ自体は、やっぱりこれ宣伝というか商材として非常に大きなパワーがあるわけですよね。ですから全てが対価に対して、細かい部分でそれぞれ対価が合わなきゃいけない、という考え方自体がもう合わなくなっているような気がするんですよね。

津田:
今、4つの質問の中の1個で、プロモーションの回路としてインターネットの割合が大きくなっているけれども、肝心のコンテンツ、例えば本なんかはあまり売れ行き変わっていないじゃん、それってじゃあどれだけプロモーション効果あるの、みたいな質問があるんですけれど、1個答えたいというか、実はこれもしこの本が増刷することがあったら、僕と小寺さんの対談の中に追加で入れてみたいことがあって。
僕と小寺さんの対談の中で小学館の久保さんが、アメリカでYOUTUBEでアニメが見られちゃってDVDの売上が下がってる、っていう話があったんですけど、ある種それのカウンターみたいな話で、カドカワの会長の角川歴彦さんがこの前日経ビジネスかなんかのインタビューでハルヒのDVDがアメリカの市場で6万セット売れた、って話をしてたんですよね。要するにもう向こうでは一切放映されていないアニメが突然6万セット売れたって、これってもうYOUTUBEが地ならししてくれたからだよねていう、ま、非常に大変まともというかなるほどな、ということをおっしゃってて。
だから一方でそうやってYOUTUBEによって下がったものもあれば、やっぱり一方で全くなかった市場というものを作り上げて6万本売れているという事例もあるというのが、ま、たぶんこれ本当にある意味での、両方ある、というのが今のたぶん状況としての真実で、そこから読み取れる一つのことっていうのが、たぶんYOUTUBEみたいな、ある種全くリーチしなかった届かなかった想定しなかったようなところから0から1の市場を作り出すパワーのあるのが実はインターネットなんじゃないかなと言う気はしているんですよね。
だから多分、単に無目的でYOUTUBEに出すことがプロモーションになるとは僕も思わないし、ただ状況としてはそういう風にやっぱり変わってきているし、インターネットって言うのはそういうカオスなところがあるから、それを分かった上である程度戦略的に、コンテンツ側もそれを出していくこと、あとはインターネットで起きていることを著作権侵害であろうと見逃していくこと、でもどんどん悪質になってきたらそれをうまくコントロールするくらいの、その辺の相場観というか、ちょっと山師的な話になるかもしれないですけど、どういう風に動いていくのかみたいなものをもうちょっと積極的にそのへんがコミットして考えて行く方が良いのかな、という気はしますね。

【Podcasting】「本書籍をCCにした件で、コピーしたものが大量に出回る可能性について何か一言を」ほか【第1回】

なお、以上の文字起こし(引用タグで囲った部分)については元サイトのCC宣言(帰属-非営利-継承)により、"帰属-非営利-継承"として扱われること、ということで。*2

あとはやっぱり枝葉末節の話。

でも、だからと言って原本を買え、とは誰も言ってない…。

半可思惟 - CCLに追加条件は付けられます

確かに一言で「原本を買え」とは言ってませんが、
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0709/18/news008_2.html

コピーするには物理物としての原本が必要である

孫コピーを許さないのであれば、

常にオリジナルからのコピーが発生する

と、ここまでは、言っていることはコピーするには本が必要です、というところまでで、買え、とまでは言ってない。まあ誰か(図書館とか?)から借りてコピーするところまでは想定してるかも、とも読めなくもないです。
でも、

無制限に子供コピー孫コピーを増やしていけば、あっという間に出版ビジネスが立ちゆかなくなるのは、一般常識がある人なら誰でもわかるだろう。

と、いつの間にか子供コピーが対象に入っていることと、上記小寺さんの話とあわせて、まあやっぱり少なくとも小寺さんはコピーするためには買ってもらうのを前提としているように読みましたよ、私は。

*1:でも、その"自由"の範囲がコピーなのか二次創作なのか商用なのか非商用なのかくらいはさすがに著者が選択出来る

*2:なお、文字起こしの際に消えたニュアンス(同じ字で異なる読みをする語とか)があるので詳しくは音声を聞いてもらった方が面白いかも。