技術的に不可能なことと、ライセンス的に不可能なことを取り違える。

まあ、西正さんが言ってることとはちょっと別の話なんだけど。
いったんコピーワンスが広まってしまうと、一部だけコピーフリーにはできないな、ということが出てくるよね、という話。

コピーワンスには、「コピーを1度しか許可しない」という意味合いがあるけど、これには暗黙の内に「むやみに譲渡してはいけない」という意味合いが含まれてくる。
自分で労力をついやして録画したものだもの。自分の手元に残らないという前提で譲渡するには、ある程度の決断が必要になってくる。

ここでコピーフリーがまた出てくるとする。これは「技術的にはコピーフリーですよ」ということを担保するだけであって、コンテンツがライセンス的にコピーフリーなことを担保しない。

ところが、いったん技術的にコピー制限をかけてしまうと、その後に出てきたコピーフリーなものはライセンスとしてもコピーフリーなんじゃないかと錯覚してしまう。
ファイル共有ソフトでダウンロードしてきた音楽とか、流出したプライベート写真とか、既にコピーフリーになったつもりで他人にあげてないだろうか?

技術的にコピーフリーなことが完全なコピーフリーに繋がらないことは、クリエイティブコモンズをはじめとするコピーフリーライセンスですらどこにどう使って良いかが細かく別れることを見れば当たり前の話なのだけど、この錯覚がそれを忘れさせてしまう。

コピーワンスコンテンツを一部コピーフリーに戻すことには、その点からもものすごいハードルがある。